サボテン坂、三角コーン、ガタンゴトン

2021.6.13

この日から、共同リサーチ仲間の松本奈々子さん(レペゼン・テキスト)と飯塚大周さん(レペゼン・音)のお二人がリサーチに加わりました◎
共同リサーチ初日は、私のこれまでのリサーチでのからだと風景の味わいやお二人の普段の街の歩き方などを話しつつ、目的地は決めずに三人一緒に街をゆるやかに歩くことから始めてみました。


この日の私たちのだいたいの軌跡↓

四角い形の鶴屋町歩道橋を越え、切通しの道路を作るために架けられた旧東海道の上台橋を渡り、不思議な空洞のある木や人口の崖を眺めた沢渡中央公園を抜け、坂や階段だらけの松ヶ丘という住宅街を練り歩き、Googlemapには載っていない『サボテン坂』という小さな坂で予想より遥かにでかいサボテンに出会い、風上からカレーの匂いが流れてきて帰路

三人で街を歩いていると、ゆるやかに同じ道筋を歩いていても一人一人の立ち止まる場所や、立ち止まり方、立ち止まる長さなどがバラバラであることに改めて気付きます。一人だったら通り過ぎていただろう場所に誰かと一緒に止まって景色を眺めたり、スピードを合わせてみたり、少し離れて一人になってみたりするのが、セッションのようで楽しかったです。

松本さんが帰りの歩道橋の階段の途中でじっと立ち止まり工事の柵に囲まれた空き地をしばらく眺めていた姿や、飯塚さんが帰りがけに「色々な名前の知らない鳥の声が聞こえた」(私にはあまり聞こえていなかった)と言っていたのが印象的でした。

►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►►

2021.6.19


三人での街歩きを経て、この日は私のこれまでのリサーチで集めた〈からだで触れた風景の味わい〉をお二人にシェアし体験してもらいつつ、それぞれのからだがどのように街の風景に触れるのかに注目しながら三人別々のルートを歩いてみました。
フィードバックでお二人がシェアしてくれたからだと風景の味わいは、どれも私のからだの視点にはなかったものでとても新鮮でした。特に印象的だったフィードバックを以下に書いておきます。

◎松本奈々子さんのフィードバック

・風景の中にある物を擬人化したり、街に対する妄想やストーリーを感じながら歩いているような感覚があった

・首都高から車が降りてくる場所に立つと、カーブして降りてくる車をからだで吸い上げるような感覚があった

・並んでいる三角コーンの隣に立ち、三角コーンの仲間になるようなイメージを持った

・手で小さなポーズ(形)を作り、風景の中にある物と交信しながら歩くような感覚がある

・〈あじさいに手のひらで触れる、触れられる〉を体験してみて、あじさいが手のひらに吸い付くような感覚や、あじさいが球体であることへの気付きがあった

松本さんの書かれるテキストの、現実からひょっとジャンプする独特な味わいにも繋がるような、風景や物に対する擬人化や妄想など、街を歩く中での意識の軽快な飛ばし方が自由でユニークだなと感じました。また、「その場では興味のない物たちも写真に撮っておいて、後から見たそれらの形から文章のイメージを得ることもある」と言っていたのも、私にはない視点で興味深かったです。


◎飯塚大周さんのフィードバック

・普段はなかなか立ち止まらない場所(歩道橋の上など)に立ち止まってぼーっとしてみることで気付くことがあった

・自分にとって居心地のよいと感じる場所、立ち止まりやすい場所、立ち止まりにくい場所と静寂との関係についての気付きがあった

・川の音は、常に水が動き、水がなにかにぶつかることで生まれているということが改めておもしろいと感じた

・電車の走行音の「ガタンゴトン」という音が、線路のレールの繋ぎ目のわずかな隙間によって生まれているということを思い出した

飯塚さんは街に出る前に、知識や体験によって変わる音の解像度の話をしてくれました。例えば、実際に車を運転をする人としない人、どのくらいの種類の車の音を聞いてきたか、などの知識や体験の違いにより車の音に対する解像度や奥行きが変わるように、色々な音に対しての聞こえ方や表現の仕方も人それぞれの知識や体験により変わってくるということでした。
川の音や、電車の走る音など、普段漠然と聞いていた音たちの正体について改めて考えてみたり実際に耳を澄ましてみることは、街の音の聞こえ方や奥行きを変えるだけでなく、より豊かに世界を感じ楽しむことのヒントになるかもしれないと感じました。


一人で歩いているとあまり意識をしませんが、お二人と一緒に歩いたり体験をシェアする中で、私たちが一人一人違うからだを通してそれぞれの世界を見たり聞いたり感じたりしていることの不思議さに改めて思いを馳せました。

涌田