レポート《じっくりとみんなでつくる短歌deダンス@横浜STスポット》プレ企画#2涌田悠新作ソロダンスワークインプログレス公演『涌田悠第四歌集 川風の星』

しゃがんだら運河の底で透明なたぶんわたしの心臓を吐く

「こうするとガタンゴトンが聞こえる」と言う人の耳のかたちをなぞる

遠い夏に駆ける少年の抱えてる用途不明の段ボール箱

油圧式ショベルの攫む鈍色のシンクは空の底に触れたり

ビルの角に心を置いた 歯の裏にレタスサンドが張り付いていた

死は飛んで       胃袋をずらす真昼にこびりつく羽

(『涌田悠第四歌集 川風の星』新作短歌21首より)

《じっくりとみんなでつくる短歌deダンス@横浜STスポット》プレ企画#2涌田悠新作ソロダンスワークインプログレス 公演『涌田悠第四歌集 川風の星』が無事に終演しました◎ご来場いただいた皆さま、どうもありがとうございました。
9月のプレ企画#1を経て、リサーチ仲間の飯塚大周さん(音)・松本奈々子さん(テキスト)それぞれと、音楽・テキスト・短歌・からだにおけるより濃密なコミュニケーションの時間を重ね、新作ソロダンス作品『涌田悠第四歌集 川風の星』のワークインプログレスとして60分間の上演を行いました。
上演後のトークでは三人それぞれと観客の方々の視点から、上演や創作過程について様々な切り口での疑問や興味などに触れる対話が生まれました。観客の方々が上演を通して受け取った身体感覚や言語感覚をとても丁寧に言葉にして伝えてくださることで、作品が他者のからだに触れ新たに生まれ続けるような感覚がありました。

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公演概要

日時:2021年11月27日(土)18時/28日(日)15時


会場:STスポット


出演・振付・演出・短歌:涌田悠


共同リサーチ・音楽・演奏・音響:飯塚大周(チーム夜営 / オフィスマウンテン / KCN)
◆上演内使用楽曲 飯塚大周作『あなたを巡る』・『川へ生まれ続けた』


共同リサーチ・テキスト:松本奈々子(チーム・チープロ)
◆上演内使用テキスト 松本奈々子作『サボテンの根とからまる』より抜粋


協力:STスポット
web広報:犬飼勝哉
主催:涌田悠企画

当日配布資料 リサーチ資料【それぞれのからだで街の風景に触れる・味わう】

https://1drv.ms/b/s!AmV3kSbyONJzg2Uh7NMPl48YKeNN?e=vh11mj

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飯塚さんは9月に引き続き、横浜の街歩き体験をもとに、短歌から制作された楽曲のギター演奏と、フィールドレコーディングで採取した街の音を使用した音響でクリエイションに参加されました。また、新たなシーンでは短歌の言葉のリズムやイメージから制作したギターのメロディと共に短歌の朗読をしてもらいました。

ギター曲『あなたを巡る』と『川へ生まれ続けた』はそれぞれ、

マンホールに耳おしあてる  はつなつのあなたを巡る音のない音

欄干に立つ両足のあいだからわたしは川へ生まれつづけた

という2首の短歌のイメージを元に制作されました。短歌は作者のイメージや意図に留まらずに、それに触れた他者とのあいだで無数に言葉のイメージや物語が広がり続けるところが面白いなと感じますが、今回のクリエイションでは飯塚さんの音を通して言葉のイメージが思わぬ方向に飛んだり、深く広がったりしています。さらにそのイメージをからだで深めながらダンスと共に曲を再構築していく作業をしました。短歌のイメージをダンスと音の双方からのコミュニケーションにより広げてゆく作業は果てしなく、3月に向けてもまだまだ探り続けてゆきたいです。
11月のリサーチでは、横浜港へフィールドレコーディングへも行きました。
道中、建設途中の巨大な横浜アリーナの工事現場に出会いました。工事現場の重機の音も時間帯によって質が異なるという話から、「フィールドレコーディングに行くときは街の中に存在する様々なものたちの行動・スケジュールを考える」ということを飯塚さんが教えてくれました。同じ場所でもいつの時間の音を切り取るかによって聞こえる音の質や登場人物(?)が全く異なるということです。
6月から季節を巡り街歩きを続ける中で、当たり前なのですが、街には人間以外の無数の生物や無生物が同時進行で存在していて様々な音や気配を発しているということを改めて感じます。それが世界の層のようで、その層の視点をからだで飛び移るように歩く味わい深さを感じています。

松本さんとは、横浜の街歩き体験から執筆されたテキスト『サボテンの根とからまる』を媒介にテキスト・からだ・短歌の関係性を深めながらクリエイションをしています。
今回は、テキストをからだを通して深めていく稽古を松本さんに見てもらいながら、少しずつ言葉を変容させていく作業をしました。
松本さんは今回のクリエイションの中で特に、テキストを媒介にわたしのからだにとっての他者としての役割を模索しており、トークでの「テキストを通して涌田さんのからだの軸を外側からどうずらせるか試行錯誤している」という言葉が印象的でした。 
今回のクリエイション過程で、とあるシーンのテキストの語り口の視点が変えられたのですが、見えている世界の視点が少し変わるだけで、からだの感覚には奇妙な変化がありました。
それは“わたし”というものの軸が少しずつずらされていくような、わたしの外側からわたしを眺めるような、体験したことのない違和感を伴うような感覚でした。
その違和感は、わたしと他者・世界が触れ合うときにそのあいだに生じる摩擦や、交わるようでいて交わらない部分、個人のからだや言葉に触れるなにかに繋がるような予感がしています。

また、テキストをからだで深めていく作業をする中で、

しゃがんだら運河の底で透明なたぶんわたしの心臓を吐く

皮膚の裏に千の目玉を張り付けて住宅街をつるつるうねる

感情があったのだろう  バスタブに沈む乳房に気泡ふるえて

という3首の短歌が生まれました。

松本さんが今回のクリエイションを「からだで歌集を編んでゆくようなイメージがある」と言っていましたが、からだが風景や他者の言葉や音に出会うことで新たな短歌を生みながら、歌集がごつごつと先の見えない方向に編まれていくような不思議な感覚があります。

3月に向けてのクリエイションの中でもテキストは変容を続けています。稽古場で、テキストや短歌が生まれる時の身体感覚の違いについて話していた時に松本さんが言っていた「もう一度自分のからだにテキストを引き寄せてみたい、自分のからだを通さないと言葉を書けないということに気が付いた」という言葉が印象的でした。松本さんのからだの記憶や積み重なる日々を通して生まれた言葉がわたしのからだや言葉にどのように触れるのか、とても楽しみです。

とある観客の方のフィードバックの中で、

死は飛んで       胃袋をずらす真昼にこびりつく羽

という短歌の意図的に空白とした二句目の部分に上演から感じ取った身体感覚から新たな言葉を紡いでくださったものがありました。
上演を通して生の時間と空間をからだで共有することで、言葉が私のからだの中だけでなく、空間や音や観客のからだの中にも新しく生まれ得るという可能性を発見しました。

先日、3月の本公演に向けたリハーサルの途中で飯塚さんと久しぶりに街をゆっくり歩いてみました。
昨年の初夏、はじめて三人で街を歩いたときに出会ったサボテン坂の巨大サボテンに再会しました。サボテンはご健在で、ごつごつと枝分かれしたその手足は、それら一本一本に意志があるかのように、隣に生えている木や家の屋根や柵にぶつかるのをものともせず、奇妙に形を変えながら冬空に伸び続けていました。

作品も、わたしのからだや言葉も、このサボテンのように形を変えながら、先の見えない方向にまだまだ伸びたいと言っているように感じます。